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人生朝露

人生朝露

ユングと鈴木大拙。

荘子です。
ユングと老荘思想の続き。

参照:心理と物理の“対立する対”
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/005094/

1928年、ユングが、不思議な絵を描いていたときのこと。一冊の本が贈られてきました。
C.G.ユング
≪私は直ちにその原稿を貪り読んだ。というのは、その論文はマンダラと中心の周りの巡行とについての私の考えに対して、思いがけない確証を与えてくれたからである。これは私の孤独を破った最初のことがらであった。私は類似性に気づき始めた。私は何ものかと、そして誰かと関係を打ち立てることができるはずだ。この偶然の一致、この「同時性」を記念して、あまりにも中国風な印象を私に与えたこの絵の下に、私は次のように記した。「1928年、この黄金色の固く守られた城の絵を描いていたとき、フランクフルトのリヒャルト・ヴィルヘルムが、黄色い城、不死の体の根源についての、一千年前の中国の本を送ってくれた。」≫(『ユング自伝』より)

Pakua。
『太乙金華宗旨』という道教の経典。これをきっかけに、さらにユングは東洋思想の研究にのめりこんでいっています。『易経』や『老子道徳経』はもっと早い段階で入手していましたが、さらに深い理解を示すようになったのはこれ以降だと思われます。

リヒャルト・ヴィルヘルム(Richard Wilhelm1873~1930)。
リヒャルト・ヴィルヘルム(Richard Wilhelm1873~1930)という人は、「ドイツの租借地であった青島(チンタオ)を拠点にして、キリスト教の布教活動をしていた宗教家」という肩書はあるんですが、彼は中国人に洗礼を施しませんでした。むしろ、積極的に中国文化を研究、翻訳する作業に没頭しています。(ヴィルヘルム訳のドイツ語版『論語』は、森鴎外も持っていたそうです。)『太乙金華宗旨』をユングに贈った頃には、リヒャルト・ヴィルヘルムは、フランクフルト大学で教鞭をとっていました。(ちなみに、ハイデガーが『存在と時間』を発表したのが1925年です。)

参照:ハイデガーと荘子 その3。
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5022

Peter Drucker (1909~2005)
ピーター・ドラッカー(Peter Ferdinand Drucker1909~2005)は、そんな時代の数少ない証人です。

≪そうした遥か昔の頃には、日本やましてその文化について、ヨーロッパではほとんど何も知られていなかった。中国への関心は大きかった。たとえば、ロンドンにおける「私の発見」の数年前に学生として又若手のジャーナリストとして、ドイツのフランクフルトに住んでいた頃、私はその当時の偉大な中国研究者の一人であったリヒャルト・ヴィルヘルムが大学で清朝について行った講義にしばしば出席していた。大きな講堂はいつも満杯だった。ヨーロッパではすでに、中国美術の著名な収集家がいくつか存在していた。しかし日本の歴史に関する本は皆無であった。また、浮世絵以外の日本美術は、ヨーロッパの人々にとっては全く存在していなかったのである。私の読めるヨーロッパの言語で書かれた日本に関するものはほとんど無く、まして日本の美術について読んだり眺めたりできるものはもっと少なかった。≫『「私達の」日本美術』より ピーター・F・ドラッカー)

・・・受けていたんですよね。この人。ヴィルヘルムの授業を。

参照:『論語』と『荘子』のドラッカー。
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5078

で、
鈴木大拙(1870~1966)。
鈴木大拙(1870~1966)です。日本以外では“Daisetsu Teitaro Suzuki”で“D.T.Suzuki”と表記されることが多いです。日本の禅仏教の紹介者であり、「東洋の心」を指し示せた数少ない日本人。釈宗演や西田幾多郎との間柄、漱石の『門』で「羅漢のような居士」のモデルでもあったりと、日本国内でも話題には事欠かない人ですが、彼の世界的な影響というのは、壮観の一言です。

参照:A ZEN LIFE - D.T. Suzuki (Excerpt)
http://www.youtube.com/watch?v=RVp9i4QIUUU

Wikipdeia D.T. Suzuki
http://en.wikipedia.org/wiki/D.T._Suzuki

C.G.ユング
≪禅仏教についての大拙・鈴木貞太郎(Daisetz Teitaro Suzuki)の諸著作は、現代仏教に関する知識を世界に広めた最近10年ほどの著作の中では、最も優れたものに数えられる。また禅そのものはパーリ語聖典の集まりに根をもつ仏教という大木から生じた枝の中でも、最も重要なものの一つである。われわれは、まず第一に、著者が禅を西洋人に近づけてくれたことに対して、第二に、彼がこの課題を果たすに当たって示したすぐれたやり方に対して、いくら感謝してもしきれないほどである。東洋の宗教的な諸観念は、ふつう、われわれ西洋のものとは非常にちがっているので、単なる言葉の翻訳でさえ、しばしば非常な困難にぶつかる。特殊な概念の意味する内容は、場合によっては、翻訳だのしないままにしておく方がいいくらいである。たとえば、どんなヨーロッパ語への翻訳もうまくできかねる中国の「道(Tao)」という言葉を思い出してもらうだけでも、このことは明らかだろう。もともと原始仏教の経典そのものが、ヨーロッパ人の理解力には全く分かりにくいものの見方や概念を含んでいるのである。たとえば、原始仏教で言う「業(Kamma サンスクリット語はKarma)」という概念の意味する内容について、何か完全に明晰な内容を思い浮かべたり、あるいは考えることができるようになるまでには、一体どれほど精神的(あるいは風土的)な前提や準備が必要か、とても見当がつかないくらいである。私が禅というものについて知っている全てに従っていうと、ここでもやはり超えることのできない異質さをもった、一つの中心的な考え方が問題になってくる。この独特な観念は「悟りSatori」とよばれ、ドイツ語ではErleuchtung(明るくすること、照明、開悟、神来)と訳される。「悟りは禅の存在理由(レゾン・デートル)である。悟りなくして禅は禅ではない。」と鈴木は言っている。西洋の神秘主義者が「開悟」Erleuchtungという言葉によって理解しているもの、もしくは宗教的意味でそのように呼ばれている内容について把握することは、西洋の悟性にとってもそれほど困難なものではないかもしれない。しかしながら、東洋の「悟り」は、ヨーロッパ人にとっては、追求することがほとんど不可能な、特殊な種類とやり方による開悟なのである。≫(「禅の瞑想」『ユング心理学選書 東洋的瞑想の心理学』創元社より)

これは、ユングが鈴木大拙の「禅仏教入門」のドイツ語版の序文に寄せたものでして、現在は英語版にも転載されているようです(英語版は1934年、ドイツ語版は1939年)。

参照:Wikipedia An Introduction to Zen Buddhism
http://en.wikipedia.org/wiki/An_Introduction_to_Zen_Buddhism

インドから中国へ仏教が伝来したときに、老荘思想の観念が取り入れられたことと、仏教が中国化していく過程で老荘の哲学的な部分を取り入れた結果として、禅と浄土は老荘思想の影響を色濃く残しています。また、鈴木大拙は、『老子道徳経』の英訳のためにポール・ケーラス(Paul Carus 1852~1919)に招かれた方だという土壌もありまして、老子の西洋での人気を知っておりますし、西洋に発信する場合にも、東洋のこころを体現するものとして、老荘思想を織り交ぜながら禅を説明しています。ユングもこれを非常に強く意識しています。

参照:アバター(AVATAR)と荘子と鈴木大拙。
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5044

参照:Jackie Chan vs Jet Li in The Forbidden Kingdom (Full fight scene in High Quality)
http://www.youtube.com/watch?v=kzwaqN2-JjA

仙人と坊さんに、区別のつかない部分があるんですよ。

河合隼雄(1928~2007)。
河合隼雄さんの『ユング心理学と仏教』で、『ユングの生涯とタオ』の著者、デイヴィッド・ローゼンと河合隼雄さんとの書簡のやりとりがなされています。ローゼンが最初に 「底の石 動いて見ゆる 清水哉」と漱石の俳句を引用しているのも、鈴木大拙の『禅と日本文化』にある「禅と俳句」を意識してのことでしょう。

“Buddhism and Jungian Psychology”Buddhism and Jungian Psychology by J. Marvin Spiegelman, Mokusen Miyuki  『ユングの生涯とタオ』デイヴィット・ローゼン著 2002
『ユング心理学と仏教』には、ユング研究所で禅の十牛図を使っているマーヴィン・スピーゲルマンというユンギアンも出てきます。これは、ユングがセルフの概念を提唱する際や、心理療法活用に際して、タオだけでなく禅からも取り入れている結果だと思われます。ユングに関係する人は特に老荘→禅ルートで思考する人が多いです。両極から無極へ至る思考があるんです。

人牛倶忘 十牛図。

参照:Wikipedia 十牛図
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E7%89%9B%E5%9B%B3

山荘コレクション せんがいさん。
ピーター・ドラッカーの、禅を基軸にした日本人論は明らかに鈴木大拙のの影響が見られますし、ドラッカー夫妻が、日本の山水画や禅画を集めた山荘コレクション(Sanso collection)の趣味も鈴木大拙の『禅と日本文化』に触発されたものでしょう。

C.G.ユング
『禅とは、西洋的な意味における哲学(Philosophie)でないところのすべてのものである。』(同上 C.G.ユングの言葉)

今日はこの辺で。


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